星に恋して

★傾向:現代/恋愛/女性が女性に恋する話です。苦手な方は注意!

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あの光り輝く星は、あなた。
だから私は、あの星に恋しているのです。




【星に恋して】




耳が痛くなる程に冷えきった夜の道を、私は自転車に乗って全速力でペダルを回転させ続けている。
悪路に差し掛かって、時折自転車が音を立てて揺れた。
転びそう、と思いながらも構わず前へと進んでいった。
肩まで伸ばした栗色の髪が、遠くの住宅街から漏れ出す微かな光と夜空の闇を纏って風になびく。
しばらく自転車を走らせると、次第にぽつり、ぽつりと薄暗い街灯が見え始めた。
鮮やかな赤や黄色に衣更えした桜の並木通りを抜けて、公園に備え付けられた大きな時計柱を横目で確認した。
時刻は十九時五十分。
早くしないと、と更に自転車をこぐスピードをアップさせる。
見上げた漆黒の空には白や黄色、ほんのり橙を帯びて輝く満天の星。
今夜は空気が澄んでいて、大きな星は爛々と輝き、小さな星までよく見える。
こんな夜には私の恋しい相手が、マンションの屋上で天体観測を始めているはずだ。


「早く沙織さんに会いたいな……!」


私、高橋ナナの想い人の名は、琴沙織という。
沙織さんは某名門大学の天文学部入学を目指す浪人生で、私より二つ年上のお姉さん。
背が高くスラリとした体型、長い黒髪、そして切れ長の目を持つとても綺麗な女の人だ。
私は今、琴沙織という女性に恋している。
沙織さんも、私もお互い性別は女。
私が好きになる人は昔から女の人ばかりだった。
誰にも言えないこの秘密を、沙織さんだけが知っている。
それでも沙織さんは私を避けたり、侮蔑の目線を投げることは一度もなかった。
「そういう恋愛も、ありだと思うよ」とあっさりと肯定してくれたのだ。
――そんな彼女は、近頃芽生え始めた私の『好き』という感情に、気付いているのだろうか。


あれこれ思いを巡らせている内に、気付けば自宅マンションの近くまで自転車を走らせていた。
都心から少し離れた郊外に位置する住宅街。
その閑静な住宅街に聳えるこの8階建てのマンションは、遠目から見ても一際目立つ。
マンション入口の横にある駐輪場に自転車を置いて、玄関ホールのエレベーターに駆け込む。
そうして、私は迷わずRボタンを押す。
1、2、3……と光っては消えていく数字と共に、心臓の動きが激しさを増す。
――もうすぐ、会える。
鼓動の高鳴りが最高潮に達して、エレベーターの扉が開いた。
四方をガラスに囲まれた薄暗いフロアの先に、ぼんやりと鉄の階段が見える。
屋上へと続く階段だ。
階段を駆け上がって、重い鉄の扉を勢い良く開けば、漆黒の空が広がる。
闇に慣れた目に、点々とした明かりが見え始めた。
星の光だ。
ここから見える光り輝く粒の数は、地上から見るよりも遥かに数が多い。
きっとここが地上よりも空に近くて、辺りが闇に包まれているからだろう。


「ナナ!」


ハスキーな声で名を呼ばれ、視線を前方へと戻す。
真っ暗な闇に、小さな、淡いオレンジ色の光が灯る。
電気式のランプの横で、シートに座って手招きする沙織さんの姿が見えた。


「こんばんは! 沙織さん!」


そう呼び掛け、いつものように沙織さんの左隣に座る。
沙織さんはすぐに電気式のランプを消して、シートに寝転び始めた。
私も沙織さんに倣って仰向けになって暗い夜空を見る。


「秋の四辺形が丁度真上に見え初めて来た。あれが真上に見え始めたら冬の入口だ」


「そうなんだ! 沙織さんに初めて会った時に見た空には夏の大三角形があったのに……もう冬が近付いているんだね」


「ナナに会ってもう二ヶ月経つのか。時の流れは随分と早いものだ」


そうだね、と呟いて視界の右側、西の空で光る夏の大三角形を見詰める。
あの夏の大三角形が真上にあった、九月十五日。
それが、沙織さんと初めて出会った日だった。
その時、私は親友の女の子に恋心を抱いていた。
親友と同時に想い人でもあった女の子に彼氏が出来て、私はひどく落ち込んでいた。
――どうして、女の子ばかり好きになるのだろう。
実るはずもない不毛な恋心と重い秘密を隠し続けることに疲れて、ふらりとこの屋上にやって来た。
よく覚えていないけど、多分、私は屋上の柵を越えようとしたのだと思う。

「一緒に星を見よう」

ギリギリのところまで追い詰められていた私を救ってくれたのは、沙織さんのその一言だった。
そうして、私が知らなかった新たな世界、『星の世界』を私に教えてくれた。
沙織さんに会う度に、私はたくさんの星の名前を知った。
北を示す北極星、M字型のカシオペヤ座、北斗七星、フォーマルハウト、そして夏の大三角形だ。
夏の大三角形は、琴座のベガ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブという三つの明るい星で形作られている。
琴座のベガと鷲座のアルタイルは、七夕でお馴染みの織姫星と彦星でもある。
沙織さんは、ベガを「自分の星」だと楽しげに話してくれた。
琴座で織姫星。琴沙織。
沙織さんによると彼女の名前はそれを意図して付けられた訳ではなく、全くの偶然らしい。
この事実を指摘したのは星に詳しい知人で、それ以来彼女は星が大好きになって、中でもベガには特別思い入れを持つようになったのだという。

――私は、星に恋しているんだ。

沙織さんが愛しげに、そしてどこか寂しげに星を見詰めていた時のことを、今でも鮮明に覚えている。
その姿は、恋する女性そのものだった。



「沙織さんの星、随分と西に行ってしまったね……」


ぼんやりと呟く私の頭を、沙織さんの細長くて柔らかな手がわしゃわしゃと豪快に撫でる。
そうして、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。

「ナナはいつも織姫星を見てくれているね。ナナも気に入っているのかな?」

ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
沙織さんには、私の秘めた想いを少しも口にしてはならない――。
口にしたら、想いが溢れてしまいそうだったから。
私の頭は自然と高速回転し始め、やがて一つの言葉を生み出した。

「ベガが……とても明るくて綺麗な星だから……魅入ってしまうの」

その言葉に、沙織さんは「なるほど」、と納得したように呟いた。
私はホッと一安心して、静かに呼吸を整えた。
沙織さんが教えてくれたどの星も、私は大好きだ。
でも、どうしても、どの星よりも力強く瞬くあの星を、恋する相手を連想させるあの星を、知らず知らず目で追いかけてしまう。
近付きたくても近付けない。
それは、まさしく恋。
でもきっと、沙織さんは私のこの想いに気付かない。
沙織さんは星に恋して、星に夢中だから。


――ねぇ、沙織さん。星に恋するあなたに、私は恋しているんだよ。


決して声に出来ない想いを心の中で囁いて、私は静かに目を閉じた。


END.

製作時BGMは鬼束ちひろさんの楽曲、『Sign』でした。
制作完了日:2012/11/15  UP:2020/09/27

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